元気にやっていますか?
私は相変わらず、曖昧な空白とともにふらふらする毎日です。
健体壮美なあなたのことだから大丈夫だとは思いますが、
くれぐれもお体にはお気をつけください。

2009/11/23

同僚の自殺について

一週間前、同僚のNが自殺した。
Nは新卒で入社し、1年と半年が経過、24歳であった。
同僚といっても、私は中途入社で4年目、仕事を同じ現場でしたこともなく、名前を言われても顔も思い出せない。
Nの自殺を知ったのは、朝礼での課長からの報告だった。

隠していてもしょうがないので、みなさんにも知らせておきますが、N君がなくなりました。
原因は自殺だそうです。
自殺後2日経ち、異臭に気付いたアパートの大家が遺体を発見しました。
動機等はまだ不明で、現在調査中とのことです。
この中には一緒に仕事された方もいらっしゃると思いますが、
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この話を聞いた瞬間、恐怖が背中を通り過ぎるのを感じた。
それは一瞬のことであったけれども、"恐い"という感情だった。
人が死ぬことで"恐い"と感じることは、何だか不思議な感じだった。
自爆テロや交通事故や飢えや戦争が毎日のように世界のどこかで人を殺しているニュースを聞くときに恐さを感じたことはない。
顔を知らない無名性の死という意味では、同僚の死もラジオから流れ出る死も変わらないはずだ。
同じような社会的境遇に措かれた、同じ年代の人間が自殺をした。その類似が示す可能性を恐れたのか。
その心の隠微な部分を自分も持ち合わせているのではないかと、はっとして後ろを振り返り、自分の背中を覗き込もうとするような気持ちに襲われたのか。
しかし、その恐さはそんな自問を思い付くか付かないかのうちにどこかに流れ去ってしまい、その後には全く別の思いに捕われた。
余りある若さを持ちながらそれをあっさりと放棄し、捨て去ってしまったNに対し、何とももったいない事をしたものだと、人の財産を羨むような気持ちになったのだ。
自殺を決意するほどの勇気と行動力があったのなら、いくらでも自由に思い切ったことができるではないかと。
会社を辞めて、わずかばかりの貯金を握り締めて外国へ旅立ち、日銭を稼ぎながら食いつなぐ、そんなことだってできたのだ。
気が向くままに場所を移し、新しい景色を眺め続けることができたらどんなに素敵だろう。
と、妄想気味に自分自身の願望をあらわにした後、自殺をするのに必要なのは、きっと勇気と行動力ではないなと思い直した。
もっと酷く閉塞的な絶望でなければ駄目だ。しかし、そんなことを考えた自分は、まだ健全でよかったと、安心もした。

他人の死をトリガーに自分の死を引き合いに出してみたところ、思いもよらぬ願望が立ち現れ、本当に望みどおりの人生を生きているのかという不安が後からのっそりと現れた。
資本主義社会における安定や安心を求めすぎて、保守的になりすぎてはいないだろうか。
そして、他人の死を目の前にして、自分の人生ばかりについて考えている自分は、少し薄情過ぎではないだろうか。

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